農女Naokoのスピリチュアル日記

私のワクワク、書きかき時間。

成長、発展をするために痛みを体験しなくてもよい

これからは、人生の発展のために、魂の成長のために
痛みを経験しなくてもいいと思います。

するのが悪い、してはだめということではないですが
しなくてもいいよね(^_^)ということ。


痛みを体験するとはどういうことかというと。

幸せになるために、一旦嫌なことを体験しようとする(無意識に)

大変な出来事があり、そこで気づいて、進路を変えて人生が良くなった、とか。

例えば、

人に嫌われないように振舞い続けて我慢ばかりいて

子供の頃お父さんやお母さんに、
学生のころ友だちに
社会人になり上司に
結婚してだんな(奥さん)に

我慢してばかりいたら、心の病や体の病になり
ようやく自分が我慢していたことに気づいて向き合って
そこから我慢をやめる道を歩む、とか。


そういう大きな痛みを体験しなくていいよ、ということ。
(するのが悪い、してはだめというわけではないよ。)


じゃ、どうしたらいいのか?というと

自分が楽しいこと、心地よいこと、を選んでいけばよいということ。
他者、周りではなく自分に目を向け、自分が好きなもの
気分が良くなるものを選んでいけばよいということ。


そのような経験をしてもいいし、しないのが優れているということではなく
人はそれぞれベストなタイミングで生きているので
他者と比べるものでもないのですが

もしも【幸せへの気づきを得るために一旦不幸な体験する】
そのパターンを繰り返していて
それに飽きたら(何か違うなと感じたり、もっと楽に幸せになって
いいんじゃない?と思ったりしたら)

そう、やり方考え方をスイッチするチャンスです☆

【幸せになるためには、自分の幸せなこと(気分のよくなること)
にフォーカスすればよい】というパターンに。



不幸せ→幸せのドラマを無意識にやりたくなったりすることもあるでしょう。

今の人間社会では、幸せ→さらに幸せをやっている人は少ないので
変わり者と思われたり、妬まれたりするからやりづらいとか
そういうこともあるでしょう。
(例えばほりえもんとか、自分がやりたい事を
やり続けている人の顕著な例だと思います。)


それでも【幸せ→さらに幸せ】ができると分かれば
それを選択していけば
それが習慣となり
それが自分にとって当たり前という世界
に生きることとなるでしょう。


私の場合(あくまで私の一経験です)
「自分には個人の仕事ができないから仕方なく」と
雇われの仕事を選びましたが
(それが悪いことというわけではないよ!大事なので何度も言うけれど)

いろいろトラブル、不調和が起きました。
人とのトラブル、怪我、など。


今は、「楽しいことだけする」と意識をチェンジしています。
そう意識を変えるまでの過程には、自分を好きになるとか
自分を肯定するということがありました。

やっぱりね、「自分を好き」というのは
とっても大事なこと、必要なことと思います。


以上です。
何か参考になれば幸いです(・∀・)♪
ではまた!