最近はやりの【コントラスト】という言葉にまつわる、あった出来事
最近よく耳にする「コントラスト」という言葉。
それにまつわる出来事があったので、お話したいと思います。
ちょっと車で出掛ける用事があって、キーを開けて運転席に乗り込んだら
フロントガラスに鳥のふんがついてました。
「はー」やな気分。て思いました。
ここで一つ実験?実践?しました。
「出来事がなんであろうと、どうであろうと、自分の気分は自分で選べる」
ということを、私は知っているのです。
なので、そのことを思い出して、鳥の糞を目の前にしてそのことを考えました。
【思考が現実を創る】
現実は後、思考が先。
ならば、思考を選ぼう。
鳥の糞があろうと、私は今、幸せなあるいはいい気分になれる。
そこで出てきたのが、【コントラスト】という言葉です。
「きったなくて嫌だなー。」と言う。でもそれって、
「きれいで気持ちいい。」という時の感覚を知っているから、
「きったなくてやだなー」と思うのだ。
少し前にガソリンスタンドでスタッフさんがタオルで外窓を拭いてくれて、
とってもきれいになったのだ。「あーうれしい。」
(最近GSで窓を拭いてもらえないことも多いので、やった!みたいな。)
で、それと対比するような、窓が汚れる出来事。鳥のフン。
「あーもうっ」「せっかくこの前きれいになったのに。」
「きれいで気持ちいい✨」を知っているから、
「汚くていやだ」になるのだ。
そこを感じてみました。
そして、最近習慣化しているこのイメージもしました。
[陰と陽(闇と光)を左右にイメージし、それ全体をパステルカラー(※)がフワ―っと覆っている](※これは自分の好みの気分いい感じを表す色です)
今回の場合、「鳥のフンやだなー」が闇側で、「窓きれいで気持ちいいー」が光側です。
闇側に「鳥のフンやだなー」
光側に「窓きれいできもちいいー」
そして、「どっちもあるよねー」、でパステルカラーが全体を包む
その上で、ちょっとポジティブなものを選ぶんです。
自分の意識をポジティブに寄せる。
「きれいにしてもらえてよかったね。」
「きれいだと気持ちいいよね。」
「そういえば、こうして身体が動いて運転できるのもめちゃありがたいよね。」
「自由に動いて、好きなことできるの、ほんとうれしいよね。」
と、自分にとってうれしいこと、ポジティブなことが挙がってきました。
こうなると、最初の「うわ、出掛けにフン、さいあく。」と言う時の感覚とは違っています。
これ、いい感じですね。
ちなみに、これが昨日の出来事。そして、今日、
また、フンがついていました。(^-^;
「はー」って思いました。
きれいだと気持ちいいので、「あーあ」って思う。
それに、「よし出掛けるぞ」と役場に用事を済ませに
行こうと思い動いたのに、「またフンか」。
「予定狂うわ」と思いましたが、本日は、
布を家から取ってきて、フンを拭き取りました。
「よし。」
・・・
そしてそれから、これまでの自分の人生のことが頭に浮かんできました。
『とても大変だった。つらかった。』
でも、「コントラストを体験したかったんじゃない?」
そう思いました。
例えば、こんな人を知っています。
自分で作物を作ったり建物を作ったり、自然の中で暮らすのが
当たり前の親の元に生まれ、小さなころから自分の部屋を建てたりして、
高校生にして、料理を教える教室を開いたりしている方。
料理教室の写真を見たりしても、周りのお客さんも「いい人達そうだなー」
と感じられる雰囲気。
「こういう優れた人は、若い時からいい人に囲まれて生きているんだ。」
って思いました。
それに比べ、私は、未熟で30代でもグチャグチャな人間関係をやっていた。
・・・でも、そのコントラストを体験したかったんじゃない?
「きったなくてヤダ」があるから「きれいで気持ちいい♪」を
より体感できるように、
「こんな人間関係つらいっ」があって「すごく温かい人たちに囲まれて幸せ」
と大きく感じられる。
そういうことなのかもしれないね~、と思ったのです。
これまで「あんな経験をつくってしまった自分」と後ろめたいような
気持ちがあったのですが、
見方がちょっと変わりました。^_^
内観しているとね、このようなことに気づけますね。
人は、苦しいことがあると楽になりたいと思う。
そんな時、アドバイスをもらって楽になることがある。
それは、見方を変えることができたからではないでしょうか。
それを私、自分でやっているのかも。
以上、【コントラスト】にまつわるお話でした。
それでは、またね~♪