セッションのその後。2
また、赤裸々に、個人的な体験を書きます。
セッションを受けて、親(特に母親)に関する心の中の引っ掛かりがまだあるのかもしれないと分かったわけですが、
ちょうど、実家へ行き親に会う機会がありましたので、思い切って親に話をしてみました。
話をする前に、準備をしました。まずは自分で自分を見る。
セッションの日の夜、早速、親に対して思っていることを書き出しました。
出てくるままに。ばーっと書いて、感情的になって、涙も出ました。
ノートにびっしり4ページになりました。
それをどう伝えようかと思いましたが、まとめずそのまま話をしてみました。
ちなみに、そういった本音を話すということは、何年か前から母に対しやってきました。
ですので、「時間をください。」と両親と向き合って話をすることは、今の自分にはできることだった。
人が怖くて、家族が嫌いで、そういったところにいたのが、ここまで来れていることも私にとってはうれしいことです。
さて、自分が書いたことをそのまま読んだわけですが(ちょっと換えた方がいいかなとも思ったけれど大体そのまま)、話を終えてどうだったか、
母には私の話が小説のようだと軽くディスられ、傷ついたけれど、人にどう言われようと受け止めることも最近はしてきているので、
傷つくからと出すことをせず引っ込めてきた昔と違い、思っていることをそのまま言えてよかったと思いました。
そして、「ああ、(自分が望むようには)理解してもらえないんだな。」ということも思いました。
親を責めたいわけではない、もう昔のことだとも分かっている、でも親にだけ思うことというわけではなく、社会の仕組み全体がそのような状況を作ったということも含め伝えたかった。
が、親が私の話に衝撃を受けるということもなく、自分としては「あーあ。」と少しばかり残念な気持ちになりました。
でも、それでよいのです。
そして私は改めて、自分はやりたいことをやっていいし、誰かのせいにせず自由に自己責任で動くんだと、腹をくくることができました。
そしてそこから、日常生活の中で、やりたいことをやり、言いたいことを言っています。おおよそ。
思った通りにできないって立ち止まってしまうこともあるのですが、それでも、「もういいんだ」、「好きにやっていい」と自分を解放することができます。
(好きにやっていいというのは、例えば「~してはいけない。」「~しなくてはいけない。」「このように働かなければいけない。」「こうしなければいけない。」などと思い込んでそこに縛られ制限をかけて生きるのでなく、自分がやりたいことをそのままやるということ。自分勝手にやっていいとか、他の人に思いやりを持たなくていいとかそういうことではないんだな。)
以上、その後の記録2でした。
ではでは~