何の解決にもならない、ただの記録。でも貴重。
少し前に、お金が事実減ってきたことによる絶望感を
乗り越えた話を書きました。
https://nojyonaoko.hatenablog.jp/entry/2022/03/30/124605
仕事したくない したくない したくない・・・・。
でも、気づいた。
「ん?でもそれは、職場環境が嫌なところで働いていたからでは?」
「私、べつに仕事すること自体が嫌なわけではないのでは?」
(ここで私が感じている「仕事」は、
人と一緒に社会の中で活動しているというニュアンスの感覚)
そして、改めて
「私は、いい人の中で、私のままでいて好かれて、仕事をする。」
という風にコミットしました。
それから、
たまたま、知人とした話の中で
「あ、その職種ありか。」と思うものがあり
探してあったので応募したところ
受かって、仕事をできることになりました。
あっさり。
これで、古い思考(ネガティブビリーフ)を手放し
新しいパラレルワールドに来ることができました♪
(表現宇宙すぎ?笑)
これ、よかったこと。
(長くなるけどごめんね(^-^; )
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それからもう一つ、モヤった(もやもやした)ことは。
お金がないと結構人生観がぐらつくっていうこと。
「お金はエネルギー」ってこと知ってる。
「自分のエネルギー上げてけばいいんだ」ってことも分かった。
(先日記事に書きました。)
「自分を満たしてエネルギーが溢れたら人に分けてあげられる」
というのも知識としては知っています。
ただ、
ただ、
実際、「おっと、これはまずいぞ。」ってなった時
生活費が危うくなった時
なんかヒガミとかねたみとか出てくるってことに気づきました。
「そうは言うても、あんたは生活に超充分な金があるからじゃろー!」
と思ったりして。
でも実際、
まず生活できるのが大事というのも事実だから
今の自分に分不相応なことはしないよう見極めました。
ただ、もう少し
お金についての自分の感覚を観た時
やっぱり苦しくなる思い込みがあるなと思って
それは、
「これだけやったら、これだけもらっていいよ。」というもの。
それはどういう感じのことかと言うと
例えば
「年齢〇歳で、何年継続して働いて、担当は何で。
それだったら、月収△△万円もらうくらいに値するね。」
みたいな。
「これだけやれば、この金額もらえるよね。」という社会通念のような。
違うんです。
それ、社会通念に自分が合わせているんです。
社会通念に自分がYESと言っているんです。
ほんとうは、どうでもいいんです。
「わたしは、これが大好きで、これがすごくいいと思っていて
みんなにも知ってほしくて、みんなにも広めたくて、
かわいいでしょ♡って言ってたら、これだけ稼げました。」
その額が、一般のサラリーマンの月収年収より高くあるいは同程度
でもいいんです。
それを決めているのは、本人の信念。
見るべきは、社会制度でもなく、会社の年俸システムでもなく
自身の信念なのです。
そういう点で、私は、しばられているものがあるなって
思ったのです。
でもね、
目指す方向や
望むものが出てきて
こうして気づくことができれば
それはちゃんとそっちへ向かうから
たどり着くから
安心して。
大丈夫。
ということで、今日は以上です。
何か参考になれば幸いです☆